同化と異化(5) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

同化と異化(5)

同化が先か、異化が先か。これは「鶏が先か、卵が先か」と問うに等しい。通常は同化の圧力があって、それに抵抗する異化が生じると考えられる。しかし、同じもので構成される組織が完璧なら、わざわざ同化をする必要は生まれないだろう。そこに異議を唱える異分子が登場して初めて同化の必然性が発動する。もしそうなら、異化が同化に先立つことになる。同化と異化、どちらが先立つかは俄かに決められないが、同じものの完璧な組織における亀裂が始点になることは間違いなさそうだ。そもそも「同じものの完璧な組織」などというものが存在するだろうか。亀裂の発生がその組織が完璧でないことの明白な証拠ではないか。例えば、イエスをキリストとする信仰の共同体として発展してきたローマ・カトリック教会が完璧な組織であるのなら、ルターの如きプロテストは生まれなかったに違いない。プロテスタントはカトリックの異化を試みる。それに対して、カトリックは同化の運動を始める。同化と異化は正反対の運動ではあるが、どちらも「本当の信仰」を目指している筈だ。すなわち、プロテスタントが試みるカトリックの異化は堕落したカトリックの「歪んだ信仰」を「本当の信仰」へと改革するものに他ならない。またカトリックの同化も、それが醜悪な排除の論理によるものでないなら、やはり「本当の信仰」への原点回帰を徹底させるものであるべきだ。ただし、「本当の信仰」はアプリオリに存在するものではない。プロテスタントの異化によって得られた「本当の信仰」もやがて堕落する運命を辿ったことを考えれば、それは歴史の中で体験的に実現していくべきものだろう。言うまでもなく、これはあらゆる宗教について該当する。仏教にせよ、イスラム教にせよ、その歴史において様々な分派が生じ、同化と異化の運動が繰り返されている。「本当の信仰」は一枚岩ではあり得ない。