同化と異化(4) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

同化と異化(4)

同化は異化を許容しない。同和は異化を包摂する。と言うより、同和の理想は異化の力によって推進される。異化なくして同和なし。しかし、現実の世界では同化が猛威を振るい、異化を胚胎する同和は反体制勢力としか見做されない。あるいは、同和は同化と区別されず、異化のみに希望を見出す場合もある。その方が同化に抵抗する力としては強くて効果的かもしれない。同化と異化の対立。これが当面の課題となる。確かに、同化は平和をもたらす。ウクライナも無駄な抵抗をせずにロシアに同化してしまえば、すぐに平穏無事な日常が戻って来るだろう。戦争をもたらすのは異化だ。台湾、香港、チベットも然り。ロシアでも中国でもアメリカでもいい。超大国による同化はやがて世界を一つにする。しかし、そのような「一つの世界」が果たして理想と言えるだろうか。同化の徹底によって同じものだけで構成される一枚岩の世界。極めて盤石で異議を唱える余地は皆無だが、正にその完全なる同一性が世界をディストピアにするのではないか。少なくとも私は「一つの世界」という同化の理想を嫌悪する。それは大審問官の論理に基づく偽りの理想にすぎないからだ。断じて大審問官の言いなりになってはならない。大審問官の力は絶大であり、その下での平和と繁栄は依然として多くの人たちを魅了しているものの、「一つの世界」の中で人は人間になれない。大審問官は人を人のままに止めておこうとする。それは人の畜群化であり、大審問官が保障してくれる安泰はペットの幸福に他ならない。それでいいのか。人はペットの如き幸福に甘んじるのか。異化は不可避だ。されど、それは戦争が不可避だということでもある。同化に対する異化は不可避だけれども、その可能性については更に思耕しなければならない。