同化と異化(3) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

同化と異化(3)

同化と似た言葉に同和がある。ネットの記事によれば、同和は元来「人々が和合すること」(和衷協同)の意味だが、今では部落問題の文脈で使われるのが一般的で、その場合には「同胞融和」という意味だそうだ。因みに、「昭和」の元号が決定する際に、最後まで候補として検討されたのが「同和」だったとのことであり、そこには一つの理想が込められている。「日本国民が和合して生活する」という理想だ。これに対して、同化という言葉には何か理想に反する感じがする。私の勝手な印象にすぎないのかもしれないが、同和と同化は質的に異なっている。その差異を端的に言えば、同和においては本来同じものであるべきものの融和が目指されているが、同化には本質的に異なるものを無理に同じものにしようとする強引さが感じられる。同和と同化は厳密に区別すべきだ。従って、特定の人たちが理不尽な差別を受けるという現実から生じる部落問題は断じて少数派を多数派に同化させることで解決してはならない。目指すべきはあくまでも同和の理想であって、同化の現実ではない。とは言え、世界の至る所で生じている少数民族差別の問題は現実には同化政策によって解決が図られている。また少数民族にとっても、同化が最も手っ取り早い解決であろう。長い物に巻かれた方が生活も楽になる。それでも同化を断固拒絶するならば、どんなに困難でも分離独立の道を摸索することになる。確かに、それは一つの道ではある。しかし、私は同和の理想に執著したい。分離独立の道を選択しても、究極的には同和の理想に辿り着くと考えているからだ。では、同化の現実を超克する同和の理想は如何にして実現するのか。そこで注目すべきは異化の運動に他ならない。