理想主義に徹する覚悟
理想か、現実か。我々はその都度、どちらかを選択する決断に迫られる。大抵は現実が優先される。生きるか死ぬかという緊急時に、理想など問題にしていられないからだ。然り、理想は一般的に不要不急だと見做される。しかし、だからと言って、理想なしで生きられるだろうか。そもそも理想とは何か。私は繰り返し理想と夢の区別を問題にしてきた。鄙見によれば、人々が日常的に口にする理想は夢にすぎない。誰にも夢があり、夢のある人生を望んでいる。なりたい者になる。したいことをする。夢は十人十色、それぞれの夢を実現していくことが生き甲斐になる。たとい一つの夢に挫折しても、新たな夢が必ず生まれる。勿論、現実の人生はそんなに甘いものではない。貧困や戦争(不慮の事故なども含む)によって夢のない人生を余儀なくされる場合がある。従って、そのような不幸な場合を皆無にすべく、誰もが自由かつ平等にそれぞれの夢を追求できる社会の実現が望まれる。そして、その実現を阻む現実が問題となる。しかし、そこでは夢を叶える現実が問題にされても、夢を超越する理想が問題になることはない。理想は殆どの人にとって余計なものであり、理想か、現実か、と問うこと自体が今や陳腐と化している。私はここに水平の次元における現実主義の圧倒的な勝利を見出す。それは個々の夢を核とするパラダイスの優位でもある。私は人々がそれぞれのパラダイスを求めて生活している現実を否定するつもりはない。しかし、パラダイスには夢はあっても理想がない。理想なき現実。そのことをこそ問題にしたいのだ。