補足:祝祭への飛躍
サルがヒトに進化し、ヒトはやがて人になる。サルとヒトとの生物学的差異は明らかだが、ヒトと人との差異は何だろう。色々と考えられる中で、ここでは娯楽の享受に注目したい。食うための労働に忙殺されていたのが、道具や技術の発展によって生活に余裕が生まれてくる。人生はパンの追求に尽きるものではない。パン以上にこそ人生の意味はある。そう考え始める余裕だ。では、パン以上にどんな意味があるのか。生を楽しむこと、すなわち娯楽だと多くの人は考えた。他のイキモノはゾーエーの循環、すなわち生まれて、成長して、婚姻によって家族をなし、やがて老いて死んでいくという過程に徹している。選択の余地はない。そこに生の悦びがあるとしても、それは本能的なものにすぎない。とは言え、人生に本能的な悦び(快楽)以上の楽しみがあるだろうか。以前にカイラクとケラクの差異について考えたが、イキモノのカイラクを超えるケラクとは何か。例えば、我が子の成長を楽しむというカイラクがある。それは「家庭の幸福」の最たるものだろう。親は子のためなら命を投げ出せる。子もまた然り。こうした親子愛のカイラク以上のケラクはあるのか。多くの人はカイラクに充足するかもしれない。しかし、「親は子のために生き、その子もまた親になり自分の子のために生きる。一体、人はいつになったら本当に生き始めるのか」と嘆くゴーギャンのような人もいる。私はゾーエーのカイラクを否定するつもりはないが、ビオスのケラクにより関心がある。そして、娯楽はケラクの一つだと思う。しかし、それはケラクとしては不十分だ。人は更に人間となり、娯楽は祝祭へと飛躍しなければならない。