補足:娯楽のパラダイス | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:娯楽のパラダイス

或る投資ファンドを描いたドラマを観ていたら、「何かを変えようと思うなら、何もしないことだ」というセリフに再会した。このドラマは再放送されるたびに何度も観ている名作だが、今回その逆説を孕んだセリフの意味が何となく朧気に見えてきたような気がする。また、「伝統は守るものだと思ってきたが、いつから壊すものになったのか」というセリフもあった。守るべき伝統と壊すべき伝統。新しき村の「新しさ」は近代都市の新しさとは全く違う。私は繰り返しそう述べてきた。近代都市は伝統の破壊の上に成り立ち、新しき村は伝統を螺旋的に進化=深化させる。近代都市は古きよき村を破壊したが、その御蔭で人々の生活は実に便利で快適なものとなった。例えば、伝統に縛られた生まれ故郷を出て東京で一人暮らしを始めれば、面倒くさい近所付き合いから解放されて純粋に個人の生活を楽しむことができる。コンビニに行けば必要なものはほぼ何でもあるし、繁華街に足を運べば娯楽施設が溢れている。東京に代表される大都会は正に娯楽のパラダイスだ。しかし、そうした近代都市の生活が今や行き詰っている。それでも都会生活に憧れる人が後を絶たないものの、「東京へゆくな ふるさとを創れ」という言葉は日ごとにその輝きを増しているのではないか。現代社会は明らかに病んでいる。絶え間ないイノベーションに追いまくられる毎日。このままでいい道理がない。そこで「何かを変えようと思うなら、何もしないことだ」というセリフが効いてくる。近代の超克。脱成長の戦略。確かに「何もしないこと」は有効な一つの道ではある。しかし、果たして現代人は無為に耐えられるだろうか。それに娯楽のパラダイスの魔力を克服することは容易ではない。「何もしないこと」は病める近代主義に対する有効な処方箋ではあるが、さりとてそれによって伝統に守られた古きよき村に回帰できるわけではない。たとい回帰できたとしても、それも再び失われる運命から逃れられないだろう。では、どうすべきか。ふるさとを新たに創るしかないが、それは如何なるふるさとであろうか。