補足:水平先生の困惑 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:水平先生の困惑

ゾーエーの充足を求める大衆の原点に水平先生は立っている。医師として傷ついたゾーエーの回復に少しでも貢献できることを誇りにしている。しかし、水平先生はその誇りに立ち止まってはいない。大衆の原点からの超越を望む。何故か。怪我や病気が治ってゾーエーが健康を取り戻しても、依然として病んでいる人がいるからだ。それはビオスの病だ。ただし、水平先生はゾーエーとビオスを二元論的には考えていない。ビオスもゾーエーの大いなる円環の一部だと理解している。従って、ビオスの病も本質的にはゾーエーの病に他ならない。ゾーエーとビオスの差異は現象的なものだ。肉体の糧と魂の糧という差異も同様に現象的なものであり、両者が満たされて人は幸福になる。肉体の糧が満たされること、すなわち身体が健康で食うに困らぬ生活の実現は確かに人を幸福にする。しかし、魂の糧が満たされなければ人は本当の意味で幸福になれない。肉体の糧の充足だけに執著する大衆は堕落する。とにかく食うに困らなければそれでいい。日々の労働の後には居酒屋で一杯やり、休日には旅行、パチンコや競馬などのギャンブル、あるいはゴルフなどのスポーツを楽しめればいい。人生は労働と娯楽の繰り返し。それでいい。それで大衆は結構幸福に生きられる。されど水平先生はその幸福を大衆の堕落だと見做す。そして、そこからの超越を要請する。ところが、大衆はその要請に反撥する。「労働と娯楽の繰り返しで何故いけないのか。娯楽が自分たちの魂の糧だ」と反論する。ゾーエーの充足という原点に執著することを大衆は全く堕落とは思わない。水平先生はそうした大衆の反逆に困惑する。