「見えないもの」の芸術(3)
ネットに興味深い記事があった。「8時10分前」に関する記事だ。例えば、「8時10分前に集合」と言えば、通常は「7時50分(まで)に集合」を意味する。例外なく、当然そうだと思っていた。ところが、最近の若者には「8時10分前」を「8時から8時9分の間」と解する人が少なくないそうだ。ネットの記事には、「都内で100人に聞いたところ、40代・50代は「7時50分」と答えた人が84%だったのに対し、10代〜25歳は「7時50分」と答えた人がわずか36%。64%は「8時〜8時9分」と回答した」とある。驚いた。どうしてこんな違いが生じてくるのか。若者の行動を研究している大学教授によれば、今の若者世代はスマホを小さい頃から持ち歩くことによって正確な時間に待ち合わせできるようになっているので、「10分前」とかの単位でそもそも言う必要がなく、そういう表現に慣れていないとのことだ。確かに、そういうことは言えるだろう。しかし、その根柢には時刻のアナログ表示とデジタル表示の差異があるように思われる。すなわち、アナログ表示が沁み込んでいる人に「8時10分前」と言えば、長針と短針で「8時」を示すイメージが先ず脳裡に浮かび、それから「10分前」というイメージに転ずるのに対し、デジタル表示に慣れている世代にはいきなり「8:10」というイメージが浮かぶ、ということだ。こうした私の解釈が正しければ、若者世代と私とでは「見えているもの」が異なる、ということになる。この事実は私に深い反省を促す。「見えないもの」の芸術とは言え、それは「見えているもの」による表現以外のものではないからだ。或る詩人は「言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって」と歌っているが、それは「見えているもの」によって「見えないもの」に到達しようとする試みに他ならない。それにも拘らず、人それぞれ「見えているもの」のイメージが異なる。同じ言葉でもそのイメージは千差万別だ。私は人間の究極的な「理想」を問題にしてきたつもりだが、結局は殆ど何も伝わっていないに等しい。「理想」という言葉のイメージは絶えず風に吹かれている。