補足:自己嫌悪と自同律の不快 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:自己嫌悪と自同律の不快

この世界に嫌な奴は確実に存在する。それは通常「私にとって」の嫌な奴だ。あるいは「私の属している集団にとって」の嫌な奴。そうした嫌な奴は排除すればいい。排除の徹底は抹殺だ。嫌な奴が完全にいなくなった世界は「私にとって」理想社会となる。これで物語は完結する。大団円。メデタシメデタシ。しかし、この物語の完結と同時に別の物語が始動する。「私の中」の嫌な奴の存在。これも排除すればいいのか。これも嫌、あれも嫌…。キリがない。排除しようとする私と排除される私との関係がやがて曖昧になってくる。すると、「私にとって」の嫌な奴との関係も曖昧になる。「昨日の私にとって」嫌な奴が「今日の私にとって」嫌な奴でなくなっている。当然、「今日の私にとって」良い人が「明日の私にとって」嫌な奴になる場合もある。「私の中」の嫌な奴と同じく、「私にとって」の嫌な奴も到底排除しきれない。かくして「排除の物語」は完結しないことが明らかになる。嫌な奴は排除しきれない。我々の理想社会は「排除の論理」によっては実現不可能だ。全く新しい物語が要請されている。