嫌な奴とも仲良くする必要があるのか(6) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

嫌な奴とも仲良くする必要があるのか(6)

嫌な奴と仲良くなんかなれない!それは「嫌いなものを好きになる」ということであり、論理的にも矛盾している。あり得ない。しかし、そのあり得ないことを要求される場合がある。例えば、偏食の戒め。ニンジンが嫌いな人に「ニンジンも食べなさい」と要求する。厳密に言えば、「ニンジンを好きになりなさい」とまで要求することはないが、ニンジンとの関係改善が求められている。どうして嫌いなニンジンと積極的に関係しなければならないのか。それはニンジンに含まれる栄養素(β-カロテン他)が人の健康に必要だからだろう。勿論、栄養素の必要だけが問題なら、サプリメントでニンジンとの直接的な関係を避けることも可能だ。しかし、自然に栄養のあるニンジンをそこまで嫌う必然性があるのか。その味と臭いが嫌悪の理由であるなら、サプリメントでそれを初期化することはできるものの、それはもはやニンジンではない。ジュースにするなど調理法を工夫すれば、ニンジンの特性を維持したまま関係改善を図ることが期待できる。そこに「嫌いなものを好きになる」可能性が生まれる。そして、その背理の可能性は人生を豊かにするものでもある。嫌いなものを遠ざけて、好きなものだけに囲まれて生きる幸福もあるが、「嫌いなものを好きになる」背理の幸福もあると思われる。とは言え、この世界には「どうしても好きになれない嫌いなもの」があるに違いない。ゴキブリ、ムカデ、ヘビの類だ。ヘビに関しては愛好家もいるが、それは生来の蛇好きなのであって、「嫌いなものを好きになる」わけではない。少なくとも私は「どうしても好きになれない嫌いなもの」の実在を認めざるを得ない。問題は「その実在を人の世界にも認めるべきか否か」にある。嫌な奴は確実に存在する。自分自身が嫌な奴であるという自己嫌悪も含めて、「嫌いなものを好きになる」背理の可能性はあるのか。実に困難な問題ではあるが、それは「人が人間になる」可能性と密接に関係していると私は考えている。