補足:ユートピアへの執著 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:ユートピアへの執著

この世界の腐敗に心を痛めている人はたくさんいる。このままでは駄目だ。何とかしなければならぬ。でも、何をすればいいのか。それは「世界の腐敗」をどれだけ深く理解するかによるだろう。「海の向こうの戦争はなかなか終わらないし、給料は上がらないし、米などの物価は相変わらず高いし、正直者が馬鹿を見る理不尽なことが多すぎるし、世界は全くどうしようもなく腐っている!」と思っても、居酒屋で一杯やって、テレビのお笑い番組などでアハハと笑って一晩寝れば、もう「世界の腐敗」のことなど忘れている…という程度の理解で日々をやり過ごせるなら幸福なことだ。しかし、本気で「世界を変革せねばならぬ!」とヒーロー気取りで思い詰めるほどの理解に囚われたらどうなるか。最悪、テロリストになってしまう可能性もなくはない。テロリスト上等!天に代わりて不義を討つ。しかし、テロリストになるためには悪に対するラディカルな憎悪と「この悪さえ排除すれば、世界の腐敗は終わる!」という揺るぎない確信が必要になる。幸か不幸か、今の私にはそうした憎悪もなければ確信もない。そもそもテロリストになるとして、一体誰を標的にすればいいのか。アメリカのTやロシアのPを天誅すれば、世界は良くなるのか。彼等が悪ならば、彼等を熱狂的に支持する人たちも天誅の対象にしなければならぬ。ウクライナの人たちは「ロシア人」を憎悪し、それを排除すれば世界は平和になると確信する、しかし、ロシアの人たちも「ウクライナ人」に対して同様の憎悪と確信を懐いているに違いない。こうした無益な応酬の泥沼から如何にして抜け出るか。「ロシア人」の奥底にロシアで生きる常民を見出し、「ウクライナ人」の奥底にウクライナで生きる常民を見出す。ヒトまで遡ると本能的な生存競争に巻き込まれてしまうので、人が人として生きる次元に「共通の地平」を創り出さねばならない。勿論、そこでも人と人との対立は生まれる。しかし、その対立は本能的に争うゾーエーの次元を超えていくべきであり、それぞれのビオスの次元における「円環と直線の葛藤」、すなわち人として生きる「理想の闘議」が望まれる。人は様々な理由で争い合うが、大抵は理想以前の利害で頭に血が上る。宗教紛争さえ例外ではない。世界には様々な分断があり、それが世界を腐敗させていることは明白だ。もはや「悪を排除せよ!」というテロリストの論理では「世界の腐敗」を終わらせることはできない。悪は分断の両側に巣食う。相反する理想に生きる人たちは住み分けるしかないのかもしれない。嫌な奴等とは付き合わなければいい。君は君。我は我也。しかし、私はどうしても「されど仲良き」という次元を切り拓きたい。到底理解し合えないと思いながらも、「利害の対立」を超えた「理想の闘議」を実現したい。そこに私が性懲りもなくユートピアに執著し続ける理由がある。