円環×直線=螺旋(5) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

円環×直線=螺旋(5)

生命は円環だ。ぐるぐる回転し続ける。その回転が止まる時、人は死を迎える。円環なしに人は生きられない。それは他のイキモノも同様だ。根源的イノチ、すなわちゾーエーの円環はあらゆるイキモノを包摂していく。この円環としてのゾーエーが傷つけられれば、直ちに修復が試みられる。とは言え、自分のゾーエーを脅かす他者が現れたら、その他者を殺す。それは他者のゾーエーを破壊する罪を意味するが、背に腹は代えられない。自分のゾーエーが一番大事。生きている限り、回転し続けるゾーエーの円環は止められない。邪魔者は消せ!これがゾーエーの鉄則だ。ところが、この鉄則に反抗する別のイノチがある。ビオスだ。ビオスは夢を見る。そして、その夢はやがて理想となり、自己と他者との共生を求める。勿論、そのような共生の実現は容易なことではない。自分が他者を受け容れても、他者が自分を受け容れてくれるとは限らない。何故か。お互いのゾーエーは共通していても、それぞれのビオスが異なるからだ。ゾーエーとビオスは質的に断絶している。「ビオスは夢を見る」と述べたが、「ビオスはゾーエーが見る夢だ」と言うべきかもしれない。何れにせよ、ゾーエーは同一でも、ビオスの次元に差異は生じる。それは生活習慣などの文化の多様性となり、延いてはそれぞれの国民性を形成する。多様な国民性は豊かな国際社会の理想となるが、同時に悲惨な戦争の火種にもなる。豊かな国際社会も悲惨な戦争も、どちらもビオスの次元の産物だ。例えば、今も戦争中のウクライナ人とロシア人に如何なる和解が可能なのか。ビオスの次元を虚妄だとして否定し、両者共に同じ赤い血が流れるゾーエーの次元にまで遡れば、その根源的なヒトの次元が「共通の地平」になるに違いない。そこでは「お互いのイノチを尊重する」というゾーエーの鉄則のみが意味を持つ。もし他者のイノチを脅かす不埒者がいれば、ウクライナ人であろうとロシア人であろうと、ゾーエーの鉄則に従って等しく厳罰に処せられるだろう。そうした根源的ゾーエーの次元に和解の大きな可能性があることは間違いない。しかし、私は敢えて危険なビオスの次元に和解の可能性を求めたい。ゾーエーの次元における和解は同一性(同じ赤い血が流れるヒト)に基づくが、ビオスの次元に求められる和解には差異性の壁が立ちはだかる。しかし、その壁を乗り越えてこそ真の和解が成立するのではないか。