ユートピアの実現(10) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアの実現(10)

人が生きる。すると歪みが生じる。「未だないもの」を求めるからだ。歪みの根源には「自同律の不快」がある。現にある主辞の私とあるべき賓辞の私とのズレから分泌する不快。もとよりズレの程度は千差万別、「東大生になるべき自分となれない自分とのズレ」とか「アイドルのA子ちゃんと恋人になるべき自分となれない自分とのズレ」といった下らぬものもあれば、誰もが悩んでいる「幸せになるべき自分となれない自分とのズレ」という一般的なものもある。それらを低次元のズレとして蔑ろにすることはできない。ほんの小さなズレから極めて大きな犯罪が生じることもある。勿論、様々な社会改革(経済格差や教育格差の是正)によって或る程度ズレを小さくすることは可能だろう。しかし、どんなに社会福祉を充実させても、ズレは残る。世界を腐敗させている理不尽なズレの一掃を目指す水平革命は必要だが、社会の水平化によってズレを根源的に解消することは不可能だ。それにズレは世界に腐敗をもたらす元凶ではあるが、昨日より今日、今日より明日という直線的充実の原動力でもある。完全にズレが解消された円環(円満)生活の充実が理想であることは間違いない。誰もがその実現を願っている。殊に自然災害などで大きなズレに見舞われた時、直接的な被災者であろうとなかろうと、日常的な円環生活の一日も早い復興を望まぬ人はいない。しかし、それにも拘らず、円環は人を退屈させる。それも厳然たる事実だ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日の繰り返し。永遠回帰の円環が完璧であればあるほど、人はやがて退屈する。そして、再び直線的充実を求め始める。円環的充実がアルカディアの理想だとすれば、直線的充実はパラダイスの理想であろう。鄙見によれば、世界はそうした二つの理想に引き裂かれている。戦争・貧困・環境破壊といった世界の腐敗が明らかにパラダイスの暴走によるものであることを考えれば、アルカディアへの回帰が世界を再生させる希望なのかもしれない。実際、地球に優しいスローライフとか「LOHAS」(Lifestyles of Health and Sustainability)の実践には大きな可能性が感じられる。その理念を中心としたコミュニティが世界中に広がっていくことを私も望む。しかし、アルカディアへの回帰はパラダイスの暴走を止められるだろうか。SDGsは重要だが、基本的にD(Development)を目指している限り、アルカディアへの回帰とは言えない。むしろパラダイスへの執著がより強く感じられ、何かブレーキをかけながらアクセルを踏み込んでいるような中途半端な危うさを禁じ得ない。何れにせよ、私は先に「円環と直線の婚姻」に言及したが、我々はその二つに引き裂かれながらも二つとも必要なのだ。そのように逆説を孕んだ未完のプロジェクトは如何にして成就するのか。正にそこに「ユートピアの実現」という究極的な問題があるのだが、それはアルカディアの円環とパラダイスの直線を婚姻させる螺旋の理想に他ならない。その具体的な実現に向けて、更に思耕を続けていきたい。