ユートピアの実現(6) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアの実現(6)

Perfect daysを生きる男(名を平山と言う)の充実感に触れて、私はエリアーデから学んだ古代人(archaic man)と現代人(modern man)との対比を思い出していた。それは円環と直線、すなわち宇宙(cosmos)を生きる充実と歴史(history)をつくる充実との対比だ。前者は循環する自然に即した永遠回帰の神話であり、後者は理想の実現という終末に向かって絶えず新しきものを求めていく壮大な物語だと私は理解している。平山の日常生活は別に自然に即しているわけではないが、トイレ清掃と余暇の繰り返しは円環を生きることに等しい。そこには時間に追われて直線上を走り続けている多くの現代人にはない充実がある。とは言え、都会で円環を生きる平山は稀有な存在であり、一般的には農村に円環の充実が認められるだろう。実際、都会の直線生活に疲れ果てた人は農村の円環生活に救いを求めていく。新しき村に関心を懐く人も例外ではない。過酷な現代社会からの駆け込み寺としての新しき村は殆どの人にとって円環生活の場所だと思われる。エリアーデも古代人(未開人も含む)の生活に、絶望する現代人の「再生の場所」を見出していた。確かに、大自然の円環生活には人が人として生きる祖型(archetype)がある。しかし、それが我々現代人の真の「再生の場所」であろうか。私は違うと思う。円環生活の場所は古きよき村ではあっても、断じて新しき村ではない。重要なことは円環への回帰ではなく、円環と直線の婚姻に他ならない。