ユートピアの実現(5)
役所広司がカンヌで主演男優賞に輝いた『PERFECT DAYS』(監督はヴィム・ヴェンダース)を観た。都内の公衆トイレを清掃する中年男の日々を描いた作品だ。早朝に起床して、テキパキと身支度をする。出かける際には必ず空を見上げ、家の前の自販機で缶コーヒーを買う。車に乗り込んで一口飲んだ後、車内では好きな音楽をカセットで聴きながら職場に向かう。到着すれば素早く準備をして、後は黙々と清掃作業に励む。昼は仕事場近くの神社や公園でサンドウィッチなどを食べながら、気になった風景をフィルムのカメラで撮影する。好きな植物を見つければ、それも土ごと持ち帰る。写真と植物が男のささやかな趣味なのかもしれない。仕事が終われば銭湯でサッパリした後、浅草の地下街の大衆酒場で一杯やる。時に場末のスナックに足を運ぶこともある。夜は行きつけの古本屋で見つけた文庫本(フォークナーや幸田文など)を寝転がって読み、疲れたら電気を消して眠りに就く。その繰り返し。特に事件と言う程のことは起こらない。強いて言えば、トイレ清掃の同僚の若者とのちょっとしたイザコザ、家出してきた姪との束の間の共同生活、そして件のスナックのママの元夫(がんの転移に悩んでいる)との暫しの交流が男のルーティン生活に小さな波風を起こす。しかし、基本的には何も変わらない。男の生活は寸分違わぬ同一円周上を毎日同じ速度で繰り返し繰り返し動いているようだ。その意味では、確かにそれはPerfect Daysと言える。完全な円環を生きる日々。ヴィム・ヴェンダース監督には小津安二郎の影響が大きいそうだが、両者の描く日常生活に私は水平的幸福の極致を見出す。しかし、野暮を承知で言えば、それが人間の「本当の幸福」だろうか。映画はいつものように職場に向かう車内の男のアップで終わるが、その表情は満ち足りているように見えながら一瞬何かしら後悔で歪むようにも見える。果たして、水平的なPerfect Daysは我々の「再生の場所」になるであろうか。