垂直に生きる(7)
日常生活において垂直を意識することは殆どない。同時に水平に生きていることも意識しない。ただ自然に湧いてくる様々な欲望のままに生きているだけだ。その欲望の一環として、立身出世や自ら選んだ道でテッペンを取るといった上昇志向に熱中する生がある。誤解されやすいが、この上昇志向は垂直性とは関係がない。質的に全く異なるものであり、それは水平の次元を超越するものではない。懸命に努力して「上級国民」になろうとする意欲などは極めて水平的だ。とは言え、上昇志向は水平の生活としてはやはり歪んでいる。致命的な病だと言ってもいい。おそらく、水平に生きることの理想は上昇志向とは無縁に、日々ノンビリと楽しく過ごすことに見出されるだろう。モーレツからビューティフルへ。しかし、そこに水平的理想があるとしても、人はその理想に耐え得るか。植木等が演じて一世を風靡した無責任男・平均(たいらひとし)なら水平の生活を満喫できようが、それは所詮映画の中だけで可能なことではないか。実際、我々は幼い頃から上昇志向の競争に否応なく駆り立てられてきた。少しでも良い学歴、そして少しでも上流の生活ができる就職。その競争からドロップアウトした人々は下流意識に開き直り、「寝そべり族」の生活に甘んじようとする。かつてのヒッピーもモーレツな競争社会に対する反抗ではあったが、それを生涯貫けたとは到底思えない。長い髪を切り、再び競争社会に渋々戻った者が大半ではなかったか。結局、猫も杓子も「わかっちゃいるけどやめられない」とスーダラ節で憂さを晴らすことになる。それでいいのか。「上級国民」を目指して日々励んでいるエリートたち。そこから落ちこぼれた有象無象。どちらも水平に生きていることに変わりはない。その格差が水平革命を要請するが、それは如何なる革命なのか。単に上下関係の逆転に終始するものであるならば、そこに革命はない。真の革命は水平の次元を超越する「垂直の瞬間」において始まる。