寂しき人の糧 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

寂しき人の糧

「心に慰めを要する苦痛あるなく、身に艱難の迫るなく、平易安逸に世を渡る人にして、神聖なる心霊上の記事を見るも、ただ人物批評または文字解剖の材料を探るにとどまる者は、些少の利益もこの書より得ることなかるべし」と内村鑑三は自著『キリスト信徒のなぐさめ』の自序に記している。では、如何なる人が内村の書を必要とするのか。それは内村と「共に心霊の奥殿において霊なる神と交わり、悲哀に沈む人霊と同情推察の交換をなさんと欲する者」だ。苦しんでいる人は世に尽きない。病気や怪我の苦しみ、経済上の苦しみ、その他諸々。人の苦しみは様々なれど、「悲哀に沈む人霊」と言うほどの苦しみは稀だろう。ましてや「心霊の奥殿において霊なる神と交わり」を求める苦しみとなると、それは宗教的人間に限られる。実際、内村の書は「キリスト信徒」を対象にしている。しかし、「キリスト信徒」は決して特別な存在ではない。更に言えば、特別な存在にしてはならない。人の苦しみの深みには宗教的次元が広がっている。それは当然、「キリスト信徒」に限定されるものではない。それ故、私はそれを垂直の次元と称したい。そこは単独者のみが神と対話できる寂しき次元だ。ただし、そこで得られる「なぐさめ」を生きる糧にしてはならない。人は苦しみの深みで垂直の次元に接するが、その後再び水平の次元に反転する必要がある。寂しき人の生きる糧はその反転によって生み出される。