補足:小さな物語
ヒトは野生を生き、人は「小さな物語」を生きる。「小さな物語」は小説と言ってもいい。大説ではない。トルストイの大河小説やドストエフスキイの大長編も「小さな物語」に他ならない。ただし、優れた小説には必ず「大きな物語」が受肉する可能性が胚胎している。それは作品の長短 に拘らない。受肉は一瞬の出来事だからだ。重力との闘いが主要なテーマである「小さな物語」にとって「大きな物語」は恩寵とも言うべきものだが、その受肉の瞬間はひたすら待ち望むしかない。勿論、「小さな物語」を懸命に織り出しながら。人として誠実に生きる。その誠実さを支える「論理」は人それぞれ異なるが不変ではない。「論理」は成長する。ゾーエーの本能が基本になるとしても、それを踏み越えるビオスの「論理」が「小さな物語」を成熟させていく。しかし、その成熟が「大きな物語」の受肉というカイロスを迎えるかどうかは定かではない。おそらく、水平的成熟に終始する「小さな物語」もあるだろう。それはそれで素晴らしいドラマだと思うが、私は敢えて垂直的成熟を求めたい。そこにこそ「小さな物語」の真のドラマが生まれると信じているからだ。