「小さな物語」が要請する「大きな物語」(6) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

「小さな物語」が要請する「大きな物語」(6)

一介の貧乏人の子が刻苦勉励して大富豪になる。単に自分の「私的な生の充実」を果たしただけではない。その財力で様々な福祉施設などに多大な寄付をして社会の改善と発展に尽力した。結果、世界中の人たちから「神の如き人」と崇められ、子供たちからも深く尊敬された。これが「大きな物語」だろうか。私は違うと思う。どんなに偉大な人の一生でも、それは水平の次元で織り出される「小さな物語」に他ならない。勿論、「小さな物語」だからと言って、その出世物語が輝いていることに変わりはない。むしろ、生の輝きは常に「小さな物語」にこそ宿る。余談ながら、幼い頃から私には「小説」という言葉に違和感があった。何故、「大説」ではないのか。無邪気な私は自らの人生に「大きな物語」を望んだ。チマチマした私小説的な「小さな物語」を超える大河の如き長編の「大きな物語」。しかし、世界の頂点を目指すような壮大なドラマも、その本質は「小さな物語」だ。端的に言えば、水平の次元で求められる「大きな物語」は必然的に歪む運命にある。その典型が国家の夢見る「大きな物語」だ。先述したように、それは国民それぞれの「小さな物語」を抑圧することになる。従って、水平の次元に「大きな物語」など必要ないという主張にも一理ある。しかし、それにもかかわらず、「大きな物語」は我々の人生に不可欠だと私は考えている。その逆説的な必要性をどう表現すればいいのか。