未開の幸福 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

未開の幸福

先日のEsperanta Retradioの記事(“Tsimanoj”ne suferas korinfarkton)によれば、ボリビアの先住民チマネ族はこれまで心筋梗塞などの心臓病とは無縁だったが、最近はその罹患率が高くなっているそうだ。何故か。白人との接触が増えて、その伝統的な生活習慣が大きく変化したからだと言われている。狩猟採集を中心とした「非合理的な」生活から白人のもたらした文明の利器による「合理的な」生活へ。言うまでもなく、この変化はチマネ族に限られた運命ではない。日本人も明治期の開国=文明開化によって生活習慣が西洋化し始め、先の大戦に敗れた後はアメリカ並みの生活が目標となった。結果、チマネ族のように、かつては無縁だった所謂「贅沢病」に苦しむ日本人も増加している。それ故、和食中心の質素な食生活(粗食)が再評価されているものの、アメリカ式のボリュームのある食生活が日本人の体格を大きく向上させたことも事実だ。また、伝統的な生活では祈祷や修祓などに頼るしかなかった不治の病が西洋の近代医学では治癒可能になった、ということもある。もとよりそれが運命である以上、「非合理的な」生活から「合理的な」生活への近代化の流れは不可避だ。チマネ族も日本人も、便利になった生活を今更捨てることなどできないだろう。しかし、それにもかかわらず、近代化以前の生活の方が幸福であったという思いも捨て切れない。スマホを駆使して最先端の遊びに興じている今の子供たちよりも何もない原っぱを駆け回っている昔の子供たちの方が楽しそうに見える。これは私の偏見にすぎないのか。私は前近代の生活に戻るつもりはないが、さりとて近代化された今の生活が無条件に正しいとも思えない。いや、「近代化」それ自体は不可避の運命だが、これまでの西洋主導の近代化とは別の近代化があるのではないか。私は先に「伝統的な生活では不治の病であったものが西洋の近代医学では治癒可能になった」と述べたが、最近では西洋医学では不治とされた病が東洋医学では治癒可能になっている場合もあるそうだ。私はここで「東洋の方が西洋より優れている」と言いたいのではない。東洋医学と西洋医学とでは治療の考え方が根本的に異なっている。同様に、私はこれまでとは質的に異なる近代化を摸索しているだけだ。「近代の超克」は依然として私の喫緊の課題であり続けている。