物語の摸索(8)
引き続き内村鑑三の墓碑銘に拘れば、Japanという国民国家を死滅させて、次のように記すことは可能だろうか。
I for the World;
The World for Us All;
And All for God.
三行目は不必要だと思う人は多いかもしれない。「私は世界のために、世界は私たち全てのために」――それで完結。物語は全て水平の次元だけで展開するのであって、垂直の次元は全く必要ない。それは、人生にはそれぞれの「私的な生の充実」だけが問題であって「公的な生の充実」など不要だ、ということでもある。その場合、世界は絶対的なものではない。そもそも水平の次元に絶対的なものなどあり得ない。全ては相対的なものだ。強いて言えば、個人の「私的な生の充実」が擬似的に絶対的なものとして機能する。そして、世界の機能は人々の「私的な生の充実」の追求が安全に心置きなく遂行される環境の維持に限られる。もはや互いに争う国家は死滅しているので、人は国家に束縛されることなく自分の好きなこと、楽しいことだけに没頭できる。正に娯楽天国!世界は言わば巨大な遊び場もしくはゲームセンターと化す。果たして、それが理想社会と言えるだろうか。そのような世界に生きたいと本当に心から思えるだろうか。戦争をもたらす国家を死滅させて、全ての人が「世界人」として生きるのは良い。しかし、「世界人」とは何か。「人が世界人となるためには、先ず、日本人であり、英国人であり、ロシア人であることを要する」とは江藤淳の言葉だが、これは未だ国民国家という「想像の共同体」に囚われている虚妄であろうか。