物語の摸索(5)
「ライオンとシマウマの抱擁」は寓話としてのみリアリティを有する。しかし、そのリアリティは真理になり得ない。何故か。ライオンとシマウマは「食うか食われるか」という真実の次元を超えて真理に生きることができないからだ。真実は水平の次元にあり、真理は垂直の次元を切り拓く。寓話はライオンとシマウマを擬人化して真理の世界で抱擁させるが、現実にはそんなことはあり得ない。しかし、そうした寓話のリアリティに基づいて真理を生み出す物語のリアリティを摸索することは可能ではないか。「ライオンとシマウマの抱擁」は不可能な物語だとしても、例えば「ユダヤ人とアラブ人の抱擁」は可能な物語ではないか。いや、必ず可能な物語にしなければならぬ。では、どうすればいいのか。言うまでもなく、真理を生み出す物語に必要とされるのは垂直の次元への突破に他ならない。ユダヤ人とアラブ人に限らず、水平の次元に閉塞し続ける人は民族対立による憎悪の応酬から完全に自由になることはない。利害の一致から暫定的な握手はできても、真の抱擁は遥か先にある。鄙見によれば、水平の次元の限界内でいくら和解を求めても、異化と同化を繰り返すだけだ。そこにはどうしても垂直の次元への突破、すなわち「人が人として生きる限界を超えて人間になる」真理の物語が要請される。ただし、誤解してはならぬ。「お前たちは敵だ。敵は皆殺しだ!」という異化の言葉が真実で、「あなたも私も人間だ。共に仲良く生きよう!」という同化の言葉に真理がある、ということではない。真理は異化と同化を超えた次元にある。