人間になる(3) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

人間になる(3)

どうしてパラダイスに安住してはいけないのか。「いけない」とまで言い切ることはできない。人それぞれに夢がある。夢が叶う人。叶わぬ人。人生は様々なれど、それぞれの私的領域の充実に幸福を見出して生きていくのは決して悪いことではない。少なくとも私は人の私的領域を蔑ろにするつもりはない。ただ、「私的領域の充実はそれだけでは完結しない」と私は考えている。そもそも「私的領域の充実」とは何か。様々な欲望の充足が想定されるが、そこには宮澤賢治の有名な言葉「世界が全体幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない」に通じるエートスがある。端的に言えば、「私的領域の充実」はエゴイズムでは十全に得られない。あるいは、エゴイズムで得られるような「私的領域の充実」は高が知れている。しかし、こうしたエートスも大抵は量的な誤解に堕していく。例えば、家庭の幸福に「私的領域の充実」を見出す場合、自分の家庭の幸福だけではなく、他の全ての家庭の幸福を求める、という理解だ。それも大切なことだが、「個人の幸福の総和が世界全体の幸福になる」という量的なことが問題なのではない。問題はあくまでも質的であり、世界全体の幸福は個人の幸福とは質的に全く異なっている。同様に、「私的領域の充実」を究極的に求めれば、私的領域とは質的に全く異なる次元が要請されるのだ。それは同時に「人として生きる」限界でもある。人は今やキルケゴールの言う「精神としての自己」を自覚し始めている。キルケゴール曰く、「自己とは一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。」かくして人は関係がそれ自身に関係することにおいて私的領域を超越し、人間へと一歩を踏み出す。