人間になる
私は理想を求め続けている。そして、人々が理想を求める共働態、すなわち祝祭共働態の実現を目指している。何年かかるか分からない。愚鈍な私は未だその端緒を開くことさえできていないが、せめてその構想だけは明らかにしておきたい。しかし、理想について語るのは至難の業だ。十中八九、夢と混同される。個々それぞれの夢は相対的なものだが、理想は絶対的だ。絶対的でなければ理想に値しない。更に言えば、その絶対性故に理想は極めて危険なものになる。尤も、日本国憲法に明記されている基本的人権や生存権の理想に疑問を懐く人は皆無だろう。もし誰かが個人として尊重されず、「健康で文化的な最低限度の生活」の欠乏に苦しんでいるのなら、我々はそうした「不本意な現実」を見過ごすべきではない。当然のことだ。実際。戦争や紛争地域は言うに及ばす、「不本意な現実」は世界中至る所に見出される。欠乏のニヒリズムは様々な形で世界を蝕んでいる。しかし、何を以て欠乏と見做すのか。未開人は欠乏しているか。日本はアメリカに敗れて、自分たちが如何に欠乏していたかを思い知らされた。映画やテレビドラマで垣間見るアメリカ一般市民の眩しいほど豊かな生活!日本はそのモノに溢れた生活に憧れ、奮闘努力の結果、曲がりなりにも表層的にはアメリカの豊かさを我が物とした。しかし、欠乏は満たされたのだろうか。むしろ、モノを所有して生活が豊かになればなるほど、欠乏は深まるのではないか。勿論、基本的人権や生存権が脅かされている人たちが豊かな生活を求めるのは当然であり、国際的にも支援していかねばならない。しかし、私の語るべき理想はそこにはない。相変わらず上手く語ることはできそうにないが、基本的人権や生存権といった水平的理想を蔑ろにするつもりなど全くない。ただし、それを現実に根付かせるためには、どうしても垂直的理想が要請されると私は考えている。それは個々の人が人間になる理想に他ならない。私にとって「人間」は「超人」を意味する。従って、「垂直的理想は全世界の人が人を超えて人間になることだ」と言うことができる。おそらく、このまま垂直的理想を如何に巧みに語っても、人々にパターナルな関係を強要する結果になるだけだと思われる。決してそうならないように、私は自分の語るべき垂直的理想を可能な限り具体的に表現することを試みたい。