補足:新しき人よ目覚めよ | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:新しき人よ目覚めよ

ドストエフスキイは「美しき人」を表現しようとしてムイシュキンという白痴を生み出し、「美しき女」を表現しようとしてソオニャという娼婦を生み出した。綺麗は汚い、汚いは綺麗。ここに垂直の理想がある。ヴィクトール・フランクルは「それでも人生には意味がある」と述べているが、このtrotzdemに真理が胚胎している。過酷な真実(現実)にもかかわらず、生きていく真理の力が宿る。もし人生に水平の次元しかないのであれば、ムイシュキンは哀れな白痴にすぎないし、ソオニャも惨めな娼婦でしかない。垂直の次元が真実を真理に一変させる。しかしそれは、例えばアウシュヴィッツの現実を容認することではない。垂直の次元は「どこにもない場」なので、それだけに一層、過酷な真実からの格好の「逃げ場所」と化してしまう。ユートピアは現実逃避の阿片ではない。この致命的な誤解を粉砕することが野性の理想主義の第一歩になる。ブレイク曰く、Rouse up, O, Young men of the New Age ! 無垢な「美しき人」は、汚辱に塗れた世俗の経験を通じて「新しき人」とならねばならない。