補足:テロリズムと垂直性 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:テロリズムと垂直性

世界は腐敗している。悪人が甘い汁を吸い続け、善人は過酷な生活を強いられる。こんな理不尽が許されていい道理がない。悪人は成敗しなければならぬ。そして、善人が幸福に暮らせる正当な世界を実現するのだ。根源的な世直し!では、どうすればいいのか。法律で悪人を裁けるのか。或る程度は可能だろう。しかし、悪人は巧みに法の網を潜り抜けて生き延びる。遺憾ながら合法的な道には限界がある。その時、神の声が聞こえてくる。「一人一殺・一殺多生」 かのボンヘッファーもキリスト教の牧師でありながら極悪人・ヒトラーの暗殺を企てた。合法的に排除できない悪人は宗教的にポアする他はない。ちなみに私は最近、藤原聖子氏の『宗教と過激思想:現代の信仰と社会に何が起きているか』という著作を拝読したが、悪人の根絶を要請する宗教的過激思想はあらゆる宗教に通底しているようだ。すなわち、「法で裁けないなら宗教で断罪する!」という要請だ。確かに、こうした過激思想に見られる宗教的要請は水平の次元を突き抜けている。しかし、そこに私が求めている垂直性はない。むしろ、垂直性は宗教を超越する。従って厳密に言えば、垂直の次元と宗教的次元は微妙に異なる。世界に渦巻く理不尽なことを糺す水平的運動。そして、それを包括する垂直的運動。包括的芸術はテロリズムをディコンストラクトするドラマであるべきだ。