包括的芸術(7) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

包括的芸術(7)

私は人間として本当に生きたいと述べた。これがすでに「虚」ではないか。二つの「虚」がある。単なるイキモノを超えて殊更「人間」を求める「虚」。そして生きることに殊更「本当」を求める「虚」。イキモノとして生きる。死ぬまで生きる。それだけが「実」だ。そうだとすれば、真「実」を求めることもすでに「虚」ではないか。生きたい。死にたくない。戦争や災害で自らのイノチが危殆に瀕する時、他者を押しのけてでも生き延びようとする。場合によっては他者を殺してでも生き残ろうとする。弱肉強食、それが「実」だ。生きることに真も偽もない。卑怯者として生き延びる。裏切者として生き残る。それを恥辱とするのは「虚」だ。しかし、ヒトは人となり、更に人間になろうとする。単なるイキモノを超えて「人間として本当に」生きようとする。私は敢えてその「虚」を極めたいと思う。自らのイノチを犠牲にしてでも他者のイノチを生かそうとする。自他共生の理想。世界全体が幸福にならなければ個人の幸福はないと愚直に信ずる。「実」からすればキレイゴトでしかない。勿論、人間として生きようとしても「実」を拒絶することはできない。しかし、「実」を超える「虚」のリアリティにこそ人間の本質があり、それを単なるキレイゴトにはしないドラマこそ包括的芸術に他ならない。それは個人では書けない。どうしても複数性の人間の連帯が要請される。我である我々・我々である我。だから私はこの拙い便りをよろめきながらも書き続けている。