補足:人間の完成 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:人間の完成

スイッチを入れても画面に何も映らず音声も聞こえなければ、そのテレビは故障している。修理して故障が直れば正常に戻る。修理できずに故障が直らなければ欠陥品として廃棄される。モノの運命だ。人はどうか。目が見えない。耳が聞こえない。腕がない。足がない。それらはモノとしては故障であり欠陥に他ならない。イキ「モノ」としてのヒトも例外ではない。しかし、人は違う。障害者は欠陥品ではない。人はモノの運命を超越する。故障した欠陥品としてのテレビは廃棄されるしかないが、障害を負った人はそれでも生きていく。尤も、欠陥品としてのモノの運命に殉じる人もいないわけではないが、単なるイキ「モノ」としてのヒトで終わるのは忍びない。故障して欠陥品と化したモノが廃棄されても世界は残る。モノが存在する場所の根柢としての場。存在者を超越する存在そのものの次元。その目には見えない世界で人は人間になるべく生きていく。そこに私の求める人生劇場がある。ただし、「人間の完成」は再びモノの世界に反転していく。その反転が垂直的ドラマのクライマックスだと私は考えている。