人生劇場(2)
バルザックの『人間喜劇』は「風俗研究」「哲学的研究」「分析的研究」の三つに分類されるそうだが、人生のドラマは煎じ詰めれば水平的ドラマと垂直的ドラマの二つになると思われる。すなわち、人が人として生活する風俗を描くのが水平的ドラマであり、世の大半のドラマはこれに属する 。人は人を愛し、愛するが故に憎んだりもして、愛憎渦巻く葛藤が水平的ドラマを生み出す。そこで人は時に一線を踏み越える。その一線とは何か。これがすでに大きな問題だが、一般的には法律だろう。そして、法律の定める一線を踏み越えた者は犯罪者となる。勿論、法律では裁かれない踏み越えもある。道徳とか良心の呼び声の一線を踏み越えることだが、むしろこちらの方がドラマを複雑にする。垂直の次元が関係してくるからだ。法律などの目に見える一線を踏み越える、もしくは踏み越えない人の葛藤は水平的ドラマとなるが、そこに目に見えない一線が関係するとドラマは垂直化する。とは言え、この垂直化を見極めるのは至難の業だ。凡百のドラマは人が犯罪者になる過程、もしくは犯罪者となった人を逮捕する過程が描かれるにすぎない。つまり、水平の次元から一歩も外に出ていない。問題は水平の次元そのものからの一歩、すなわち水平の次元という一線を踏み越えるリアリティにこそある。男の中の男である玉井金五郎に対する私の不満もその辺りにあるような気がしてならない。