Vorbildとしての人間(5) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

Vorbildとしての人間(5)

ゾーエーが実だとすれば、ビオスは虚だ。ゾーエーに根差したヒトの生活は正に地に足のついた堅実なものだが、そこから遠ざかれば遠ざかるほど人の生活は虚しくなる。それが苦しかった。理想社会の実現を求めることは虚妄なのか。食うための生活、すなわちゾーエーの持続を可能にする肉体の糧を得るために労働し、それを円滑に循環させるための娯楽で定期的にリフレッシュする生活のみが「本当の生活」なのか。それ以外は全て「虚妄の生活」なのか。ヒトは人に「進化」したが、それは所詮労働の合理化(生産性の向上:わずかな労働で大きな生産を上げて余暇を増やす)と娯楽の洗練(より刺激的な快楽の追求)にすぎないのか。私はそうは思わない。思いたくない。私は労働を超える仕事がしたいと思った。それは人を人間に高める活動になり、ビオスの次元を切り拓いていく。確かに、ゾーエーを核とする「本当の生活」に比べれば、ビオスの生は「虚」だ。「虚」は「実」の反対であり、通常は余り良い意味では使用されない。本当ではないこと、偽りとか。しかし、「虚」は否定的な意味(例えば、虚妄)に尽きるものではない。私は「虚」にもリアリティがあると思っている。「実」にはない、「実」とは質的に全く異なるリアリティだ。それは有に対する無のリアリティと言ってもいい。ちなみに、ユートピアは「どこにもない場」だが、これも「虚」のリアリティに関係している。では、「虚」のリアリティとは何か。