夢の場所・理想の場(4)
一九八八年に放送された『授業巡礼:哲学者・林竹二が残したもの』というドキュメンタリイを観た。僭越ながら、私もまた林先生のような哲学者になりたいと思った。先生は子供たちに「蛙の子は蛙」という言葉についての問いかけから授業を始める。蛙の子、すなわち オタマジャクシは蛙とは異なる姿形をしているが、やがて間違いなく蛙になる。だから蛙の子が蛙になるのは正しい。その論理に子供たちが納得すると、先生はすかさず次の問いかけをする。では、「人間の子は人間」と言えるのか。「言えると思う人は手を挙げて」と促すと、ひねくれ者の数人を除いて教室の大半の生徒は手を挙げる。そこで先生はオオカミに育てられた少年の絵を子供たちに見せて、人間の子であってもオオカミに育てられると人間になれない事実を示す。では、「人間になる」とは如何なることか。子供たちは真剣に考え始める。その結果は明らかにされなかったが、それぞれの子供たちがどんな考えに辿り着こうと、そこには「理想の場」が切り拓かれているような気がした。「蛙の子は蛙」と同じ次元では「ヒトの子はヒト」だと言える。しかし、姿形はヒトになっても、それだけでは人間ではない。ヒトはオオカミに育てられればオオカミになってしまう。ヒトはヒトの社会で人になる。人として生きることの恍惚と不安。人には「夢の場所」が必要だ。それは間違いのない事実だが、人が人間になるためには「理想の場」が更に必要になる。それを子供たちにどう語ればいいのか。