夢の場所・理想の場(3)
つらい時、悲しい時、人は「夢の場所」に救いを求める。遊園地、劇場(映画館も含む)、居酒屋やキャバレーなどに足を運んで、生きることの苦しさからの束の間の解放を楽しむ。それが明日も生き続けることの力となる。それはそれでよい。かつて「新しき村の実現」 を考えていた頃、私もまた新しき「夢の場所」を求めていた。「ディズニーランドよりも楽しい新しき村」などと称していたが、単なる娯楽の場所を超える生活の場所としての「夢の場所」を考えていたように思う。そこでは束の間の解放ではなく持続可能な解放、すなわち「永遠の日常」が問題となる。しかし、それは途方もない問題であり、矛盾を孕んだ逆説的な理想について考えあぐねているのが私の現状だ。理不尽なことは水平の次元で起きている。それが生きづらさになっている。それ故、水平革命が要請されるが、「夢の場所」には限界がある。どうしても絶対性の世界が求められる。ただし、それは全知全能の強き者の支配する世界ではない。裁きの世界ではなく、むしろ赦しの世界であろう。弱さ、と言うより無力の絶対性。しかし、強き者の暴力に弱き者の無力が勝てるだろうか。勝てる道理がない。必ず負ける。負け続ける。ところが、負け続けることの底の底に「理想の場」が生まれてくる。水平的な「夢の場所」を垂直に屹立させる「理想の場」だ。それが絶対性の世界に他ならない。