夢の場所・理想の場(2)
「夢の場所」は素晴らしい。確かに人を笑顔にさせる魔法をかけてくれる。しかし、その魔法は持続しない。やがて「夢の場所」での祭りの時間は終わりを告げ、再び憂い顔の日常に戻る時が訪れる。笑顔は失われるが、「夢の場所」はなくならない。暫く頑張って労働す れば、また休日には「夢の場所」に行くことができる。そして笑顔を取り戻せる。労働と娯楽。その繰り返し。娯楽が生き甲斐となって人生の年輪となっていく。こうした人生の何が悪い。悪い道理などない。独立して労働し、独立して娯楽を享受する。その生き甲斐のサイクルが何らかの理由で危機に瀕すれば、人々は連帯することもできる。第一義の独立と連帯。それで事足りる。「夢の場所」を中心に人々は笑顔で暮らすことができる。しかし、そうした笑顔の生活に疎外感を懐く人がいる。皆が笑顔になる「夢の場所」を憎悪し、そこを爆破せんと望む人がいる。狂っている。そうかもしれない。労働と娯楽のサイクルに苛立つ病的なアウトサイダーは一体何処からやって来るのか。三島由紀夫なら「荒野」と答えるだろう。「荒野」は危険に満ちている。けれども「荒野」は、「荒野」のみが絶対性の世界である「理想の場」に通じている。それが厄介だ。