独立と連帯 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

独立と連帯

かつてローザ・ルクセンブルクの経歴を辿っていた時、彼女が祖国ポーランドの独立運動に反対していた事実を知って意外に思ったことがある。単純な私は独立とは無条件に良いもので、民族自決は当然の正義だと確信していたからだ。今でも、それが「本当のこと」であることを疑ってはいない。しかし、独立は基本ではあっても究極的なものではない。その先がある。それは単独者の真理を深く信じながら、その先にある連帯を理想とせざるを得ぬのと同断だ。単独者のみが本当に連帯できるのであって、連帯を拒絶する者は単なる孤立者にすぎない。とは言え、同調圧力で連帯を強要されるのが現実であって、単独者の真理は常に孤立と背中合わせだ。実際、今の世界情勢を眺めていると、単独者の真理(それぞれの独立)が各地で非常な危機に瀕している。例えば、なかなか終わりの見えないウクライナの危機。ウクライナは自らの独立を死守するためにロシアと戦っているけれども、かつてはソビエト連邦の一員であった。勿論、ソ連の一員であることとロシアに併合されることは全く違う。それにソ連に真の連帯があったかどうかは大いに疑問とされている。しかし、そこには曲がりなりにも連帯の理想があった筈だ。ユーゴスラビア連邦も然り。言うまでもなく、連邦の理想は堕落し、連帯は崩壊して、それぞれの民族は独立を果たした。そして、それぞれの民族間の血で血を洗う戦争が始まった。ウクライナとロシアの戦争もその一環として理解することができる。当然、私はウクライナがその独立を死守することを願っている。それは民族の独立に限らず、香港や台湾、更には沖縄についても言えることだろう。しかし、それにもかかわらず、私はその先を考えざるを得ない。その先の連帯の理想を求めずにはいられない。時代の流れに逆行するかもしれないが、思耕を続ける。