Vorbildの迷走(2) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

Vorbildの迷走(2)

アイドルや推しは一般的にVorbildではない。質的に異なっている。ただし、先日K-POPアイドルに憧れて韓国で練習生としての厳しい日々に耐えている人のドキュメンタリイを観たが、この場合のアイドルはVorbildになる。すなわち、「自分自身もそうなりたい」と心から思えるようなアイドルはVorbild足り得る。逆に言えば、自分自身とは一線を画して遠く仰ぎ見るような存在としてのアイドルはVorbildではない。従って、推しは熱狂的なファンの憧れの対象、応援の対象ではあっても、Vorbildにはなり得ない。Vorbildは人が自らの実存の可能性を前向きに懸けられる存在なのだ。とは言え、アイドルは偶像であり、本来Vorbild足り得る存在ではない。つまり、厳密に言えば、Vorbild足り得るアイドルはもはや偶像ではない。ここで一応、アイドルや推しは原則としてVorbildになり得ないことを改めて確認しておきたい。しかしながら、現実の世界では様々な存在が恰もVorbildであるかのように機能している。例えば、大谷翔平というスーパースターは多くの野球少年たちにとってVorbildであろう。勿論、誰もが大谷翔平になれるわけがなく、むしろ殆どの人にとって大谷翔平はアイドルや推しにとどまる。大谷翔平を自らのVorbildにできる人にはそれなりの才能の裏付けが必要になる。しかし、Vorbildになる対象は何も大谷翔平のような特別な才能をもつ天才に限られない。誰にもクニモサレズ、ホメラレモセズ、イツモシヅカニワラッテヰル「デクノボウ」もVorbild(サウイフモノニナリタイ存在)になる。Vorbildとは一体何か。