Vorbildの迷走 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

Vorbildの迷走

私は基本的に、他人の迷惑にならなければ人はどんな生き方をしてもいいと思っている。どうせ限られた人生だ。自分の好きなように生きればいい。しかし、「自分の好きなように生きる」とは如何なることか。自分自身のことを振り返ってみれば、幼い私は最初、マンガ家になりたいと思った。しかし、自分に絵の才能がないことに気づかされると早々に諦めた。次にプロ野球の選手になりたいと思った。野球の才能はあると思ったが、これも錯覚にすぎないことが暫くして明らかになった。結局、挫折した。すると、「自分の好きなこと」について改めて考えざるを得なくなった。自分の本当に好きなことは何か。それは自然に決まるものなのか。そうだとしても、人間の自然性はすでに壊れている。かつて或るフォークシンガーは「自然に生きているってわかるなんて、なんて不自然なんだろう」と歌ったが、自然に感じているようで実はそうではない。少なくとも私は、それまで「自分の好きなこと」だと自然に感じていたことが全て何かの影響によるものだったことに気がついた。マンガ家になりたいという「感じ」は手塚治虫の影響だし、プロ野球選手は長嶋茂雄の影響だ。確かに、その当時において、手塚治虫も長嶋茂雄も私のVorbildであった。しかし、今はそうではない。「感じ」は永続せず、全く当てにならない。だから、私は考えることにした。徹底的に考えることにした。かくして私の「判断力批判」が始まった。ただし、殊更難しく考える必要はない。イデア論の復讐に抗するためにはカントの三批判書の復習が不可欠だとしても、ここでは極力日常生活に即して思耕したい。我々の人生行路におけるVorbildは如何にして形成されるのか。それはUrbildと如何に関係するのか。