補足:理想と現実
理想と現実の間には質的断絶がある。必ずズレる。「深層のふるさと」と「表層の故郷」も例外ではない。ただし、「深層のふるさと」は「どこにもない場」なので、厳密に言えば、ズレとは違う。ズレは一つのあるものと別のあるものとの間に生じるものだからだ。ないものとあるものとの間に生じるものはズレではない。従って、「深層のふるさと」という理想が「表層の故郷」として現実化される時に生じる違和感はズレではない。では、何か。例えば、絵を描くとする。芸術的才能のある人ならば素晴らしい絵が描けるが、絵心のない人には描けない。一般的に言えば、前者は「描こうとした絵」と「現実に描いた絵」が一致し、後者はズレがあると理解される。しかし、「描こうとした絵」は「未だないもの」なので、両者共にズレは問題になり得ない。ズレは、予め「描くべき手本となるような絵」、すなわちオリジナルがあって、それに少しでも一致するように描こうとする場合にのみ生じる。つまり、芸術的才能のある人はオリジナルとのズレが殆どないように描くことができるのに対し、絵心のない人は大きなズレが生じてしまう、ということだ。それ故、この場合の芸術的才能は単にオリジナルに一致させる技術(模写)にすぎず、何ら本質的なものではない。しかし、私がここで問題にしているのは「オリジナルがない次元」での無からの創造なのだ。オリジナルがないから、最初からズレは問題にはならない。サルトルは人間の「実存は本質に先立つ」と言ったが、我々はオリジナル(神の設計図)が失われた次元で「人間の本質」をつくらねばならない。そこに理想を現実化する困難さがある。「深層のふるさと」が理想として意識されるとしても、それはあくまでも「どこにもない場」なので、ズレとは質的に異なる何かが問題になる。その「ズレとは質的に異なる差異性」の究明がユートピア実現に向けての今後の課題になるだろう。