ホームドラマの超克(3)
未だ白黒放送だった頃に垣間見た『若者たち』が妙に心に残っている。私は年端も行かぬ小学生であったからドラマの内容はよく理解できなかったが、それでも何となくいいと感じたのだ。両親を早くに亡くした五人兄妹(四男一女)の貧しいホームの一体何に魅力を感じたのか。私はずっと考え続けている。テレビの本シリーズは未だ完全に観ていないが、比較的最近、森川時久によって映画化された三部作は観ることができた。『若者たち』はその後何度も現代風にリメイクされているが、一九六〇年代という時代背景以上のものはない。皆が未だ貧しかった時代。そして、これから豊かになっていこうとする時代。そこでは戦争で失われた古いホームと戦後に生まれた新しいホームが鬩ぎ合う。それは長男と弟たち(特に大学生で社会的関心の高いインテリの三男)との価値観(人生観)の軋轢として描かれる。親代わりとして自分のことは後回しにして頑張ってきた長男の苦労は弟や妹たちにもよくわかっている。感謝もしている。しかし、長男の考えは古い。弟や妹たちのために良かれと思うことが、ことごとく裏目に出る。だから、喧嘩が絶えない。なのに、そこにはホームがある。喧嘩をしながらも互いへの愛が感じられる。それが心地よかったのだと思う。もしかしたら、私はそこに「どこにもない場」としてのホームを垣間見ていたのかもしれない。そうした奇妙な心地よさは、最近ではシェアハウスを舞台にした擬似家族のドラマに感じることがある。その典型は以前にも言及した生方美玖の「いちばんすきな花」だ。見ず知らずの四人(しかし、不思議な縁で結ばれていた)が一つの場所に集って、それぞれの思いの丈を打ち明け合う。四人はその場所に一緒に住んでいるわけではないが、そこにはホームができる。ただし、不満もある。喧嘩がないのだ。勿論、殊更に軋轢を望んでいるわけではない。しかし、或る思想家ならずとも、それぞれにもっと「引きこもれ!」と叫びたくなる。四人の場所(空間)は実に心地よいが、甘い仲良しクラブの雰囲気も否めない。ホームドラマの裏側には常に引きこもりのドラマがある。四人の心地よいドラマが本当のホームドラマになるためには、それぞれに更なる引きこもりの時間が必要ではないか。