ホームドラマの超克(2) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ホームドラマの超克(2)

ホームドラマの超克を問題にしているとは言え、私は決してホームドラマが嫌いではない。例えば、「サザエさん」のホームにはやすらぎを感じる。それは私だけではないだろう。サザエさん症候群というものがそれを如実に示している。多くの人は「サザエさん」のホームに平地人の幸福の理想を見出す。その意味において、「サザエさん」はホームドラマの典型であり、そのホームは「どこにもない場」、すなわちユートピアの一つだと考えられる。しかし、それは場所として決して結実しない空想のユートピア、悪しきユートピアにすぎない。周知のように、「サザエさん」のホームの誰一人として老いることはない。カツオやワカメはいつまでたっても無邪気な小学生のままだし、波平も舟も認知症になったり寝たきりになったりすることはない。マスオさんもリストラされる心配など微塵もなく、サザエさん本人もいつも明るく元気だ。それはかつてあり得た場所の一つではあるけれども、今は失われた場所でしかなく、決して持続しない場所でもある。日曜の夕方ならずとも、「サザエさん」のようなホームで暮らしたいと願うのは自然の理だ、しかし、そのような「どこにもない場」は私の求めているユートピアではない。故郷喪失が現代の病だとすれば、心身共にやすらげるホームの追求は快癒に不可欠だろう。或る意味、私もまたホームドラマを求めているのかもしれない。ただし、本当のホームドラマは「サザエさん」のホームの崩壊から始まる。