根付かないということ
私はずっと「どこにもない場」を求めて生きてきた。褒められた生き方ではない。逆だ。然るべき場所に根付くことから逃げ続けてきたにすぎない。どこにせよ、根付けば芽が出て花が咲き、やがて実を結ぶ。今の私には何もない。中也は「私の精神には方向がない。放浪がある」 と歌ったが、私にはそうした詩人の潔さもない。定住もできなければ放浪もできないとすれば、私はこれまで何をしてきたのか。「どこにもない場」を求めての彷徨だ。私には方向があった。垂直の方向だ。そこに彷徨と放浪の違いがある。定住と放浪は水平の次元の問題だが、彷徨は垂直の次元を要請する。さりとて私に水平的問題がないわけではない。究極的には私もいつか一つの場所に根付くことになる。ただし、そこに生じる水平的問題は常に垂直的問題と逆対応するものでなければならない。そこにヴェイユの「根をもつこと」の真意もあるのではないか。