ツァラトゥストラの下山 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ツァラトゥストラの下山

私の究極的な理想はツァラトゥストラの下山にある。禅(十牛図)で言えば、入鄽垂手(にってんすいしゅ)だ。しかし、下山は山頂を極めた者だけに可能となる。登頂を途中で諦めた者に下山はあり得ない。それは脱落でしかない。従って、下山を軽々に口にすることは許されない。下山と脱落は現象的には共に平地を目指すものでありながら、厳密に区別されるべきだ。しかし、そうなると、下山はツァラトゥストラの如き超人にのみ可能であって、私のようなニセモノには到底不可能な実践になってしまう。それでいいのか。私はそうした一種のエリート主義は根源的に間違っていると思う。さりとてニセモノの中途半端な脱落をそのまま肯定するわけではない。何かあるはずだ。ニセモノでしかあり得ないボンクラの私にも究極的な理想を実現する道が。「どこにもない場」は山頂にあるわけではない。むしろ、それは幻想ではないか。「どこにもない場」は平地にこそ場所として実現すべきだ。