詩作としてのユートピア(9)
映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』の評価が高いと聞く。この種の映画はゴジラなどの怪獣が暴れまくる特撮部分とその危機的状況における人間ドラマの部分に分けられるが、今回は後者が優れているとのことだ。そもそもゴジラは水爆実験が生み出した怪獣であり、その「核のバケモノ」と如何に戦うかというのが第一作のテーマであった。そのことを考えれば、『ゴジラ』はあくまでも人間ドラマに重点を置いて理解すべきだろう。とは言え、幼い頃にゴジラに夢中になっていた私は、ゴジラがモスラやキングコングやキングギドラと戦う特撮部分に専ら魅了されていたのであって、そこに込められた人間ドラマなど二の次であった。また、制作側もそうした子供たちの人気に配慮して、ゴジラを「恐るべき怪獣」から「子供たちの味方」へとアイドル化していき、『ゴジラ』はすっかりお子様向けの特撮部分中心の怪獣映画に成り下がってしまった。しかし、やがてその傾向も反省され、最近は原点に還って「恐るべき怪獣」としてのゴジラが甦っている。前作の『シン・ゴジラ』も明らかに原点を意識して制作されたと思われる。そこで最新作『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』における人間ドラマであるが、私は「マイナスワン」という発想に興味を懐いた。すなわち、大東亜戦争で灰燼と化した日本を「ゼロ」の状態と見做し、それがゴジラによって更に絶望的な「マイナスワン」の状態に落とされる。そうしたどん底の、更にどん底の状態からの人間ドラマだ。復興のドラマ、もしくは人間回復のドラマと言ってもいいだろう。勿論、この作品では復興それ自体の過程まで描かれるわけではない。「マイナスワン」という絶望の淵に落とされても、そこから立ち上がろうとする人間の不屈の精神だけが輝いている。その意味では、これは中途半端な人間ドラマと言わざるを得ない。野暮を承知で言えば、我々が観たいのは正にそうした「マイナスワン」から復活する人間の物語だからだ。ただ、昨日の便りに関連して言えば、復興のドラマはパラダイスの物語であって、決してユートピアを求めるものではない。「マイナスワン」が「ゼロ」になり、やがて「プラスワン」となる。そこまでが復興のドラマだとすれば、「プラスワン」から更に発展していくドラマはパラダイスの限界を示す物語へと転化していくに違いない。そうしたパラダイスの限界の果てにのみユートピアの物語がある。