詩作としてのユートピア(5) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

詩作としてのユートピア(5)

独り寂しく新年を迎えている。正月気分は微塵もない。極力避けているからだ。それは大晦日から続いている。紅白も観ない。ゆく年くる年も観ない。ただ三百六十五分の一としての一日を過ごす。これは思いの外苦しい経験であった。世間から疎外されてヒトデナシになっていくような感じ。否応なく幼い頃の楽しかった家族団欒の時間が甦ってくる。――師走の声を聞くとソワソワし始め、やがて冬休み、クリスマスとワクワクが止まらなくなる。そして大晦日。家族全員で朝から大掃除。加えて、配達された伸し餅を小さく四角に切り分けるのが私の例年の役割だった。そうこうしているうちに正月を迎える準備が整い夜になる。母の年越し料理を食べながらレコード大賞、紅白などを観る。父は酒に酔って居眠りしている。普段は九時頃にはすでに寝ていた私も紅白を最後まで観ていた記憶はないが、どういうわけか眠い目をこすりながら年越しそばをすすっていたことは覚えている。いつの間にか就寝。目覚めると元旦。お年玉。――なんだか全てが夢のように思い出される。楽しかったあの頃と同じ居間に今もいるのに、全く違う時間が流れている。咳をしても一人。底なしに孤独な時間だ。父と母がいなくなったのは仕方がない。自然の理だ。しかし、私も「地に足のついた生活」をしていれば、私自身の家族を持ち、新たな家族団欒を味わえたに違いない。循環する家族の時間。実際、殆どの人たちはそうした時間に生きている。何故、それが私にできなかったのか。その問いを改めて自分に突きつけるために、私は敢えてヒトデナシの経験に自分を追い込んでいるような気がする。無意識の裡に。いつもなら友人と行う忘年会も今回はしなかった。年越しそばも食べなかった。雑煮も数の子も食べない。食べたところで、かつての味はしないだろう。私は決して家庭の幸福を否定するつもりはない。むしろ、それを反復するために、今は自分を徹底的に孤独に追い込む。その花咲かぬ暗黒の原点からしかPoesieは生まれないからだ。