詩作としてのユートピア
ユートピアと言えば、通常「空想」と理解される。エンゲルスの著作Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur WissenschaftにおけるUtopieが「空想」と和訳されるのがその典型だ。確かに、「どこにもない場」を意味するユートピアが「空想」と見做されるのは当然 かもしれない。むしろ、ユートピアをこの地上の「どこかにある場」として実定化することの方が間違っている。ユートピアは「空想」だからこそ意味があるのであって、現実化されたユートピアは必然的にディストピアと化す。そこにユートピアの運命がある。しかし、私は敢えてその運命に挑戦したい。率直に言って、私はユートピアを単なる「空想」とは考えていない。誤解を恐れずに言えば、ユートピアの「現実化」を求めている。ただし、その「現実化」はユートピアを一つの場所として実現することではない。ユートピアはあくまでも「どこにもない場」なのだ。では、「どこにもない場」の「現実化」とは何か。私はユートピアを詩作したいと思っている。ユートピア小説を書きたいのではない。詩作としてのユートピアと「どこにもない場」としてのユートピアの「空想」とは質的に全く異なっている。そのリアリティについて、よろめきながら思耕を続ける。