行為の呪縛
空虚(うつろ)な精神の中を伊東静雄の言葉が駆け巡っている。
田舎を逃げた私が 都会よ
どうしてお前に敢へて安んじよう
詩作を覚えた私が 行為よ
どうしてお前に 憧れないことがあらう
振り返ってみれば、私はずっと詩作から逃げ続けてきたような気がする。行為への憧れ。この拙い便りの原点も「研究よりも実践!」という私の思い上がった決意であった。詩作は世界を変革できない。私はそう思い込み、新しき村に行為を求めた。村は私の下放であった。しかし、私はいつしか大きな錯誤の渦に巻き込まれていたようだ。今なら言える。下放は逃走にすぎない。詩作と分離された行為は本当の行為ではない。私は詩作に徹するべきであった。詩作を自らの行為とすべきだった。私はもう逃げない。