アウトサイダーの求める正義(3)
異物の排除。それは自然の理だ。免疫システムはもとより、私は私でないものを私の内部に容れることを許さない。されど私でないものとは何か。そもそも私とは何か。「自同律の不快」を感じぬ者、すなわち単純に「私は私である」と言い切って胸を張 っている者は次のように言うだろう。「私は男だ。男以外は私の世界から出て行け!」もしくは「私は日本人だ。日本人以外は私の世界から出て行け!」かくして一人のchauvinistが誕生する。これもまた自然の理であろうか。もしそうなら、「私の世界」とは何と薄っぺらで貧困なものか。醜いアヒルの子は「私は美しい白鳥である」という自覚で救われるが、この救いは所詮chauvinismの閾を出ない。人の自然の情であっても、そこに人間の理想はない。アヒルの世界ではアウトサイダーであることを余儀なくされた白鳥は白鳥の世界ではインサイダーとして生きる。当然のことだ。そこに白鳥の救いがある。しかし、人間の救いではない。人間の救いはアウトサイダーとしての「自同律の不快」を噛み締めることから始まる。