デクノボウの一歩(8) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

デクノボウの一歩(8)

水平的な憎悪に駆られたテロリズムは邪道だが、インサイダーの支配する世界はディコンストラクトしなければならない。その場合、ディコンストラクションの主体はあくまでもアウトサイダーであるけれども、それはアウトサイダーが今のインサイダーを否定して、新たなインサイダーになることではない。それではインサイダーのディコンストラクションにまで辿り着けない。その理路はヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」と同様だ。すなわち、主人の支配を超克するのは奴隷だが、奴隷が新たな主人になっても仕方がない。本末転倒。単に主人と奴隷の位置関係が入れ替わったにすぎず、世界は根源的には何も変わらない。我々の究極的関心は「主人と奴隷の関係性」それ自体の止揚にある。インサイダーとアウトサイダーの関係性についても然り。外が内になり、内が外になる。そして、世界は「一」になる。ただし、この「一」には如何なる支配関係もない。振り返ってみれば、これまでの革命は洋の東西を問わず全て失敗であった。プロレタリア「独裁」は過渡的なものである筈なのに、いつも「独裁」だけが繰り返される。信長、秀吉、家康の天下統「一」も所詮「独裁」の継承にすぎない。勿論、かつてのような「独裁」の現場は今や数箇所に限られている。しかし、支配関係は至る所にある。「独裁」の根絶もさることながら、より根源的には目の前の支配関係の超克こそを問題とすべきであろう。全ての支配関係がディコンストラクトされる「一」の場の実現!ガザがそのような場になれば、アラブがユダヤになり、ユダヤがアラブになる。しかし、アラブとユダヤの差異はなくならない。そんな祝祭共働態を求めるのはデクノボウだけだ。デクノボウはインサイダーの支配する世界から外へと追いやられる。否応なくアウトサイダーと化したデクノボウはインサイダーに「ツマラナイカラヤメロ」と言う。しかし、それはテロリズムのような水平的反抗になってはならない。デクノボウは常に垂直的に活動する。では、垂直的活動とは何か。