垂直の森(6) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

垂直の森(6)

私は如何なる意味においても、また誰に対しても生き方を強要するつもりはない。そんな大それたことをする資格も権利もない。ただ、人間として本当に生きること、すなわち究極的な生を求めているだけだ。誤解を恐れずに敢えて絶対的な生と言ってもいいが、それは或る一つの生き方を絶対化することとは全く違う。人それぞれ、憧れる生き方があるだろう。最大関心事としての生き方だ。それは幼い頃からの様々な影響の渦から生み出されるが、当然、自分に与えられた能力に応じて調整され、自分の身の丈に合った生き方に落ち着いていく。ナンバーワンの生き方でなくてもいい。それぞれのオンリーワンの生き方に幸福が宿る。そこにパラダイスがある。先述したように、パラダイスにも格差(上流、中流。下流)があるが、ナンバーワンもオンリーワンもその生は絶対的ではない。全て相対的な生にすぎない。もとよりどんな生き方でも自身にとっては掛け替えのないものだが、その絶対化は馬鹿げたことだ。誰もが羨む著名人の華麗な生き方も絶対的ではない。そもそも相対的な水平の次元に絶対的な生などあり得ない。ナンバーワンの最高の生はある。しかし、それは絶対的=究極的な生ではない。次元が全く違うのだ。実存的飛躍とキルケゴールは言ったが、水平の次元と垂直の次元との間には質的断絶がある。言うまでもなく、私自身は絶対的=究極的な生への実存的飛躍を求めているが、そこに必然性があるかどうかはわからない。あるとしても、それを論理的に証明することはできない。だから冒頭に述べたように、その飛躍を強要するつもりはない。しかし、それにもかかわらず、私は垂直の「森」を求める。一人でも多くの人が人間となり、垂直の森で共に生きることを望む。これは何かを悟りきったと勘違いした痴れ者の戯言にすぎないのか。