垂直の一歩(2) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

垂直の一歩(2)

エイゼンシュテインの名作「戦艦ポチョムキン」の名場面と言えば「オデッサの階段」だが、私にとっては戦艦の大砲がその方向を民衆から宮殿へとゆっくりと移していくシーンだ。そこに垂直の一歩がある。垂直の一歩は決して気取った特別なものではない。俗なる次元を切り裂く聖なる力によるものではあるが、断じて俗なる次元の外へと遊離していかない。むしろ、俗なる次元に踏みとどまり、そこで重力に抗う一歩を踏み出す。天安門でも香港の路上でも、かつて警察の銃口は民衆に向けられた。警察もロボットでないならば、それなりの信念があってのことだろう。「暴徒と化した民衆は秩序を乱す敵でしかない」という信念だ。しかし、その際に警察が守ろうとしている秩序とは何か。それは中国共産党の水平的暴力(上から押さえつける重力)によって維持される秩序にすぎない。確かに、この秩序の下でも無難な人生は可能だろう。しかし、無難に暮らせればそれでいいのか。もしそこに少しでも違和感があれば、それは垂直の次元からやって来る。垂直の一歩は特権的なものではない。かつてプラハの街をソ連の戦車が侵攻してきた時、その戦車を操縦するソ連の若者をプラハの民衆が必死に説得していたシーンが思い出される。そこに垂直の一歩がある。たとい水平的暴力の強さに踏み躙られるとしても、垂直の一歩を断念するわけにはいかない。