垂直の一歩
「無難な人生からの一歩」という言葉も誤解を誘発する。無難な人生など誰にでも簡単に手に入る――そんな誤解だ。現実には「無難な人生からの一歩」どころか、無難にさえ生きられなくて絶望している人はいくらでもいる。先日観たドラマの中では、就活で百社に及ぶ企業の試験を受けたのに一社か らも内定がもらえなくて自殺した学生が登場した。別に大企業でなくてもいい。社会的に注目されるカッコイイ職場でなくてもいい。ただ日々を平穏無事に暮らせていければそれでいい。能力のある人は次々と冒険をして、たとい挫折しても何度でも這い上がる波瀾万丈の人生を送るだろう。これといった特性のない自分にはそんな派手な人生は無理だが、平凡な人生で構わない。それで十分だ。平凡に就職して、平凡に家庭を築き、平凡に老いて死んでいく。ホメラレモセズ、クニモサセレズ、名もなく貧しく美しい人生に自分の幸福がある。そうした無難な人生の一体何がいけないのか。むしろ、全世界の人が無難に人生を全うできるように皆で骨を折るべきではないか。私に異論はない。ただし、全世界の人が無難な人生を全うするためには、個々の人は無難な人生に閉じこもるべきではない。そう思うだけだ。「無難な人生からの一歩」は無難な人生の拒絶を意味しない。重要なことはあくまでも垂直の一歩だ。それは決して「水平的幸福」を否定するものではなく、エゴイズムに閉塞する人を祝祭共働する人間へと高めるものに他ならない。